先日、熊谷西高校の後輩から当サイトにコメントがありました。それによると、現在の熊西も私が在籍していたときと同じようにダメである、ということでした。

そこで気になって熊西のオンライン情報をチェックしてみたのですが、これが想像以上に酷い。正直、驚きました。というか、逆に笑ってしまうくらいのレベルだったので、その内容をシェアいたします。

在校生や志望者、その保護者の方にとっても理解していただきやすい内容だと思います。また、無関係の方にとっても、いかに日本の全日制高校がオワコン(=終わったコンテンツ)になっているかを知る手頃なケース・スタディになると思います。

では、行ってみましょう!

熊谷西高校のオワコンぶりを象徴する3つのポイント

私は現在、教育関係者でもないので、熊谷西高校内部を見ることはできません。が、オンライン上にある情報を見るだけでも、その内実や雰囲気を見て取ることは充分に可能です。

で、見た結果いたるところに腐敗のしるしが現れていました。挙げればキリがないのですが、中でも露骨で分かりやすい部分を3つ指摘し、その何が問題なのかを解説していきます。

1)校長先生の挨拶にビジョンがない

YouTubeに現在の熊谷西高校校長・中村篤氏の挨拶の動画があったので、視聴してみました。すると、これに驚かされました。なんと、8分半ほどの動画の中で、教育機関としてのビジョンがほとんど語られていなかったのです。

動画の多くを占めるのは「熊西が進学校である」ということの説明でした。というか、ほとんどそれだけです。「四年制大学への進学者が多く、国立大に行く人も何十人いる」などといった説明が続きます。

では、

  • 教育機関としてどういう学生を育てたいのか?
  • 学生は社会に出たとき、熊西での教育をどう活かせるのか?
  • この変化の激しい時代の中でどういった改革を進めているのか?

これらの論点は皆無です。つまり、こういったビジョンが一切ない。理念も何もありません。

大学進学自体が進路としてどうなのか問い直されている時代の中で、そもそも難関大学・国立大学への進学を無前提によしとしていることに唖然としてしまいました。教育機関としての問題意識が一切感じられません。

2)進路指導がお役所言葉で埋め尽くされている

熊谷西高校は以前から「田舎のお役所」のようだなと思っておりましたが、これはただの悪口ではありません。実際にそうであることがホームページの文章からだけでも分かります。

とりわけ象徴的なのは「進路指導」のところにある「質の高い授業」という部分です。引用します。

教員一同、日々授業改善に全力で取り組み、質の高い授業を実践しています。「主体的・対話的で深い学び」を実現するため、アクティブラーニング型授業も積極的におこない、授業評価を活用した授業力向上も図っています。また、文部科学省から「スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受けているほか、埼玉県教育委員会から「大学進学指導推進校」・「理数教育指導推進校」の指定を受け、進学校として生徒の進路希望を実現するための工夫や改善に取り組んでいます。

熊谷西高校, 進路指導, 質の高い授業

お気づきでしょうか? この数行の文章のほとんどが文科省の使っているお役所言葉です。「主体的・対話的で深い学び」や「アクティブラーニング」は文科省の中央教育審議会で使われていたり、新学習指導要領に盛り込まれています。

後半も、文科省や教育委員会からお墨付きをもらっている、というアピールに過ぎません。

つまり、

「うちは偉いお役所に言われた通りやってるんですぅ! それで褒められてるんですぅ!」

としか言っていないのです。自前の言葉で「こういう独創的なことをうちはやっています」という部分がゼロ。宮台真司風に言えば「クズ」です。

まさに、田舎のお役所。

3)「熊西からノーベル賞」が合言葉

これはもはや悪い冗談かと思うレベルなのですが、「西高の特色」にはこう書かれていました。

「熊西からノーベル賞」を合い言葉に、世界で活躍する科学技術系人材の育成を進めています。

たしかに科学技術に資する人材を育成するのはいいことですが、合い言葉がノーベル賞とは、時代錯誤も甚だしい。熊西だけ昭和の時代に取り残されているのでしょうか。

目標・ロールモデルとして掲げるなら、iPhoneを作ったスティーブ・ジョブズとか、EVやロケットを開発しているイーロン・マスクとか、そういった理系の素養を持つイノベーター、起業家なら分かりますが、まさか、ノーベル賞とは!

ちなみにノーベル賞を狙うとすれば旧帝大などの理系学部を出て大学院に進んで研究というのがこれまでの定番コースですが、現在、院に進んだ優秀な人材も就職難にあえいでいるポスドク問題はご存知ないのか? 「もはや日本からノーベル賞を取る科学者は出ない」とも噂される若手研究者の惨状は聞いたこともないのでしょうか?

あまりに時代錯誤だし、能天気と言わざるを得ません。ノーベル物理学賞の梶田隆章氏を輩出した川越高校に対する劣等感の現れでしょうか。

熊西の腐敗は思ったより進んでいた

組織というものはメンバーが多少入れ替わっても同一性を保つものです。全員が一気に総入れ替えになるか、もしくは圧倒的なリーダーが現れて変革しない限り、その体質や雰囲気は維持されます。

たとえば週刊少年ジャンプという漫画雑誌は作家や編集者が次々に入れ替わりますが、「ジャンプ」としてのカラーは何十年でも維持されます。そのほか、企業やスポーツチームも同様です。だからこそ、「好きな会社」とか「好きなチーム」とかがありえるわけです。

あるいは、組織は人体のようなものと捉えてもいいでしょう。口から入ってくる食物はさまざまでも、それらは体の一部となり、古い細胞と入れ替わっていきます。すべての細胞が入れ替わったとしても、その人が別人になる、ということにはなりません。構成要素がすべて変わっても、その人はその人です。

学校も同じ。

しかも、学校は地域との結びつきも強く、その学校のイメージや評価には長年かけて作られた根強いものがある。これが、新たに入ってくる生徒、教職員をも強く規定します。そうして、その学校らしさというものが複製・再生産されていくのです。

なので、私は熊谷西高校が「昔と同じようなものだろう」と思っていたのです。が、しかし、ちょっと違いました。どうやら腐敗はもっとずっと進んでいる。

組織の面白いところは、放っておいてよくなることはないけど、ダメになることはよくある、ということ。いわゆる「組織の腐敗」というやつです。熊西は着実に腐敗している。驚くべきレベルで。

私がいた頃にもすでに熊西はオワコンでしたが、オワコンのまま20年近く存在し続けているので、もはやゾンビと言っていいでしょう。

私は、熊谷西高校の生徒にはすぐにでも学校を退学してまともな生活をしてほしいと思い、このブログに熊西のことを書いていました。少しでも被害者を減らしたい、と。

ですが、ここまであからさまにおかしくなっているのを見ると、「もはや熊西に在籍していることは自己責任ではないか」と考え方が変わってきています。ちょっと瞥見しただけで熊西という学校が狂っていることは明らかなので、そこから逃げ出さないのはもはや本人の責任と言ってしまってもいいかもしれません。

そんなとこにいる方がおかしいって。

情報を集めよ!

今回指摘した事柄については「粗探しではないか」と思われた方もいるかもしれませんが、ぜひ、比較対象の一例としてN高等学校のホームページを覗いてみていただきたい。

N高等学校・S高等学校<設置認可申請中> (通信制高校 広域・単位制)

あまりの違いに愕然とするでしょう。と同時に、熊西の異常さに気がつくと思います。N高の校長・奥平氏のメッセージにはお役所言葉などなく、しっかりと時代を見据えた力強い言葉が並んでいます。

別に私はN高を取り立てて勧めているわけではありません。ただ、まずは情報を集めてほしいのです。通信制・定時制の高校、あるいは学校法人を離れて学ぶ方法など、今はネットでいくらでも情報を手に入れられるのですから。

断言しますが、熊谷西高校を卒業していいことは一つもありません。時間の無駄です。いえ、有害ですらあります。気がついた方は一日でも早く、脱出を検討してください。