私の出身校である熊谷西高校についてはいくつかの記事で書いてきました。それについて在学中の後輩から反響がありましたので、また、あらためて書いてみようと思います。

基本的には、熊西はすぐに廃校にすべきだと思います。が、それは現実的に難しいと思うので、生徒一人ひとりが自主的に退学していくのがベストでしょう。保護者の方にも、そこを理解してもらいたい。

では、なぜ退学すべきなのかを解説します。

熊西を退学すべき3つの理由

高校中退。これは、昔はヤンキーやひきこもりのような、基本的にドロップアウト組のすることでした。いわば落ちこぼれです。

しかし、2020年現在、高校中退の意味は大きく変わりました。落ちこぼれどころか、むしろ緊急避難のような行動だと言っていいでしょう。とりわけ、熊西のような「そこそこの偏差値の公立進学校」からは一日でも早く去るべきなのです。

理由1:AIに代替される学力しか育たない

熊西は県北では進学校として認識されています。地元では、ちょっとしたエリート候補と目されるかもしれません。

しかし、全国的に見れば熊西は地方の中途半端な高校にしかすぎません。実際、進学する大学はよくて埼玉大学・群馬大学、私立なら日東駒専レベルがボリュームゾーンとなっています。

ところで、次の事実をご存知でしょうか? もう4年前には、「東ロボくん」というAIがMARCHや中堅国公立レベルの大学には合格できるだけの学力を獲得しているのです。

「東ロボくん」はこのほどセンター試験模試で、英国数理(物理)社(世界史)5教科でいずれも平均点を上回り、総合偏差値57.1をマーク。MARCH、関関同立や複数の国公立大学に合格する実力に到達した。

「東ロボくん」が偏差値57で東大受験を諦めた理由 | DOL特別レポート | ダイヤモンド・オンライン

熊西の卒業生が進学している大学はほとんどそれ以下。つまり、熊西では3年間をかけてAI以下の学力しかない生徒を育てている、ということです。この意味をよく考えていただきたい。

「大学進学はおまけ程度」であればいいのですが、進学が主目的の学校で、その結果がAI以下なのですから、こんなに恐ろしいことはありません。

理由2:多大な機会損失

十代後半の3年間はとても貴重です。何かを学ぶのに最適な時間です。しかし、熊西に通っているとその時間が有効活用できません。将来、AIに負けるための勉強に浪費されてしまいます。

機会損失という言葉をご存知でしょうか? 経営学でよく使われる言葉ですが、つまり、

「そんなことしなきゃ、他の有益がことができたのに。ああ、損した」

ということです。

今の時代、半端な進学校に通うほどの機会損失はありません。せっかく成長できる時期をドブに捨てるような行為です。その時間があれば、ほかにいくらでも有益な自己投資をすることができるでしょう。

【後日追記】

熊西の現校長による動画での学校紹介があったので見てみましたが、進学校という以外の教育機関としてのビジョンがまったく語られておらず、愕然としました。ここまで時代に取り残されているとは……。

理由3:人間としての能力が落ちる

熊西に通うと、人間としての能力が低下します。

たしかに、昔であれば高校に通って勉強することには意味がありました。そこそこの大学に行けばそれなりの企業に就職でき、安定した仕事と給料を手に入れることができた。結果、それなりに幸せな人生を生きることができた。

しかし、このモデルはすでに1990年代にはほころび始めています。そこから「失われた30年」で徐々に煮詰まっていき、2019年には日本型の雇用慣行は「終わりの始まり」に突入しました。で、2020年のコロナ禍で本格的な崩壊を迎えつつあります。

ですが、学校はこの急速な変化にまったく対応できていません

企業でもリモートワークが普及し、むしろフリーランス・自営業といった働き方が進む中で、「制服を着て決まった時間に教室に集まって、一方的に先生の授業を受ける。ペーパーテストで到達度を測る」という仕組みは完全に時代遅れです。

このような教育環境で3年も過ごせば、いくら10代の若者でも時代遅れの浦島太郎にさせられてしまうでしょう。

熊西に行くと能力が「付かない」のではなく、「落ちる」。この意味をよく考えていただきたい。

高校時代でもう人生は決まっている

高校という場所は人生の準備期間。好きなこと、やりたいことは大学に入ってから決めればいい。こういう発想が日本人のスタンダードだったと思います。

しかし、社会のシステムが大きく変化していく中で、この認識自体も改める必要があるでしょう。15歳から18歳という年齢はただの大学進学準備期間ではなく、人生の核を形成する期間です。どう過ごすかはきわめて重要です。

その年頃はまだ大人とは言えない一方で、自分の人生を決定する上で稚すぎるとも言えません。もうすでに、自分の人生について、自分の責任で、クリティカルな決断をせねばなりません。その上で、感性や思考力を試されてもいる。

そんな中で熊谷西高校のような最悪の学校へ入学し、そこに疑問もなく在籍し続けているということは、もうすでに人生をしくじっている、ということを自覚していただきたい。滅びに至る道に、もう踏み込んでしまっているのです。

学校生活を送っていると気づかないかもしれませんが、いま、多くの若者がそこから離脱しています。たとえば通信制高校はその存在感を増し、今や高校生の17人に1人は通信制です。そこで、創造性と将来性のある学びを選択しています。

3年間かけてAI以下の学力を身に着けただけの人と、勉強はそこそこに自分の好きなことに燃えた十代を過ごした人と、どちらがこの先の世界を楽しく生きていけそうでしょうか? どちらが社会で活躍できるでしょうか? 答えは言うまでもありません。

あなたには失敗してほしくないから

私は十代の頃、熊谷西高校を退学できませんでした。今でも、深く後悔しています。唯一の救いは遅刻・欠席を繰り返したおかげで、マイナスの影響をモロに受けずに済んだ、ということでしょうか。

今これを読んでいる熊西生がもしいらっしゃれば、余計なリスクは背負わず、なるべくはやく退学届を提出していただきたい。定時制・通信制に編入してもいいし、他のことをしながら高認をめざしてもいいですし(このあたりはネットをフル活用して事前によく調べましょう)。

断言しますが、今の時代に熊西をまともに卒業した人材には何の価値もありません。

さて、私にできることはこういったメッセージを伝えるところまでですが、勇気を持って、正しい判断をしていただけるよう祈っています。