こんな動画を見ました。2023年2月5日にTBS公式のYouTubeチャンネルにアップされた報道特集です。テーマは不登校。

自殺を扱うため視聴制限がかかっています

この動画では二人の不登校の生徒が出てきます。一人は現在不登校のただ中にある女の子、もう一人はすでに自殺して亡くなっている男の子です。

このお二人の共通点は正義感にあふれていること。一人目の女の子は教室で公然といじめが行われていることに心を痛め、学校側にも問題提起をし、しかし改善が見込めないので不登校になっています。

これを見て、私は「むかしの自分を見ているようだ」と思いました。「今でも自分と同じような疑問と憤りを感じて不登校になっている子がいるのか」と。

熊谷西高校で見たいじめ

私は高校2年生から不登校気味になりましたが、その最初のきっかけは1年生のときにすでに起こっていました。しかも、入学してまもなくのことです。

埼玉県立の熊谷西高校に入ってみると、入学早々、クラスの中で特定の一人(Kくんとしましょう)がターゲットとなり、クラス中から陰口を言われたり仲間はずれにされるようになりました。

Kくんはからだの大きな、温厚そうな感じの男の子でした。しゃべり方や動きが少しマンガチックでコミカルな印象はありましたが、特段変わった子ではなかったと思います。当時も、今振り返ってみても、なぜあんなことになったのか理解できません。

しかし、Kくんは陰で、あるいは聞こえるように「気持ちわるい」「キショい」などと言われたり、ちょっとしたことで嘲笑されたり、グループ分けで排除されたり、完全にクラスで浮いた存在となりました。それから実に3年間、少なくともクラス内では親しい人の一人もできずに卒業となったのです。

今思えばクラスメイトたちは彼のようなターゲットを設定することで仲間内での結束をつよめていたのでしょう。これは人間がせまい集団に閉ざされたとき、よくあることです。

ですが、私は教室のそんな空気に耐えられず、クラスメイトたち全体への軽蔑感が募り、入学早々だれとも親しく接することをやめてしまいました。「こんなやつらと付き合っていられない」と。そうして、2年生以降は断続的な不登校となっていきます。

このような経緯は、上の動画に出ていた女の子とまったく同じでした。

当時も今も、学校という場ではいじめや理不尽に目を瞑り、そこに加担した人間が得をするという構造になってしまっています。そんな人々がリア充や陽キャと呼ばれ、なおかつ成績が良ければエリートにすらなっていく。歪んだ日本の構造が集約されています。

個人の問題へのすり替え

ここで、大事なことを指摘しておきたいと思います。

動画のケースにせよ、私の場合にせよ、問題なのはいじめの方です。いじめをする生徒たち、それを解決せずにいる教師、学校の管理、さらには親たち、こういった人々に問題があるのです。

しかし、いじめが一度放置され、黙認されると、おかしなことが起こります。いじめをする生徒は放置され、教師も学校側も知らん顔を決め込み、その醜悪な空気に耐えられなくなった生徒が不登校になる。と、問題は「いじめ」から「不登校」にすり替わるのです。

こうして不登校という問題への「すり替え」が起こると、悪いのは不登校の子供だということになります。問題が、別の人間に置き換わってしまうのです。

私のときも、問題児は私だということになりました。しかし、一方でKくんはクラスで排除され続けています。また、漫画本の万引きで小遣いを稼ぐクラスメイトもいました。そんな問題はなおざりのままで、学校に来いというのです。

不登校問題の根っこにあるのは、より深刻かつ見えにくい、学校側の問題です。

現在の学校はすでに機能していない

不登校についての知識人や文化人の言説を追っていくと、おおむねもう見解は一致しています。つまり、

「現在の学校は教育機関として機能していない」
「90年代以降、学校は地獄のような場所になった」
「いま子供を学校に通わせるのは虐待に等しい」

どれも一昔前なら極論のたぐいでしたが、もはやかなり一般的な見解になりました。私自身、そう思います。

特に「90年代あたりから学校が変質した」というのは、言われてみるとなるほどと納得させられます。私は2000年に高校に入学したのですが、小中学校の頃はいなかだったこともあってか、かなり平和でした。が、高校から急におかしくなっていったのです。

これは私個人の事情(いなかから少し大きな学校へ進学)だけに起因するのではなく、ちょうどその頃の時代状況の変化もあったのでしょう。

そう考えると、あの頃の延長にいまの学校がある。すでに40歳近い私も、上記動画に出てくる子供たちも、同じ境遇に置かれているわけです。言い方を変えると、20年以上が経過してなお、社会は学校の劣化、あるいは「地獄化」を解消することができなかった、というわけです。

学校へ行かずに別の学びの道を

いまの学校はどうやら私が生徒だった当時と同じ問題を抱えているようです。いや、むしろさらにその問題は加速しているのかもしれません。

学校という場は、知識と良識をさずけ、全人格的な教育をする場ではもうなくなっています。むしろ、クラスのいじめに目を瞑り、いっしょになって他人を攻撃するような心の死んだ人間がいやすいような、まさに「地獄」のような場所になってしまいました。

もちろんすべての学校がそうだというわけではありませんが、私が通っていた2000年当時の熊谷西高校はそうした場所だったし、多くの学校がそんな状態に陥っていることでよう。

そんな場への適応は、そのときはよくても、人間らしい心を殺すことです。その報いは、やがて年月を経て自分の身にふりかかってくることでしょう。

このブログではもう繰り返しになりますが、学校に行くのはきっぱりやめて、別の学びの道を模索するべきです。とりあえず今は、学校という場から離れることが最優先です。