前回の記事――と言っても11ヶ月も前になるが――にコメントが付いた。出身校である熊谷西高校の現役生からだった。ほぼ連続して二人から書き込んでいただき、どちらも基本的に当ブログに賛同してくれるご意見だった。ありがとうございます。

ところで、レスを書きながらふと、こう考えてしまった。自分が今、熊西の現役生徒だったらどうするだろう、と。このブログでは通信制への転入を勧めてきたが、リアルに想像すると、まだまだそのような思い切った判断と行動は難しいのかもしれない。

今回はその問題をあらためて考えてみたい。

自分が高校生ならこれをやる 3選

私は現在37歳。社会人真っ只中である。そんな私が20歳若返って高校生に戻ったらどうするか? 今回は、あくまで全日制の熊西に在籍したままと仮定して考えてみたい。

1)受験勉強は最小限かつ効率的に

まず、受験勉強にかける時間と労力は最小限にする。テストではクラスの中位あたりにいればよく、難関大合格もめざさない。指定校推薦も狙わない。

実際、一定以上(偏差値55くらい)の大学に入れれば受けられる教育にさほど大きなレベル差はないのだ。学校による特色はあるが、偏差値が5ぐらい違ってもさしたる意味はない。なので、ほどほどの勉強でそこそこの大学に入ることをめざす。

学費の面を考えると国公立の方が半分ほどになるので、地方国立や公立が狙い目だ。立地も考慮し、自分なら東京都立大、横浜市立大学、静岡大学あたりを候補に考える。週末に東京に出られて帰省もしやすい、偏差値50台後半の国公立。これくらいがいい。これ以上の大学をめざすのはむしろコスパが悪い。

ただし、現状、熊西で雰囲気に流されていると大東亜帝国以下にしか行けないようなので、勉強の仕方についてはネットなどを使って別で指導者を見つけること。

2)自学自習と学外の学び

受験勉強はほどほどでいいとして、大事なのはそれ以外の学習である。とりわけ、自分で学習対象を見つけて、意欲的に学ぶということだ。

高校生の段階だと気づきにくいが、結局、学習というのは自分で考えて自主的にやっていくしかないのだ。教室で先生が授業をしてそれを聞く、という形式は学校限定の特殊なかたちなのである。大学生以上になると学習は基本的にすべて自学自習である

今ならYouTubeやWikipediaがあるので、それをフル活用するだろう。Wikipediaは信憑性を案じられることが多いが、ざっくりした概要を掴むには最適だ。YouTubeは専門家や学者による講義も探せばあるので、あなどれない。

あとは図書館。自分の住んでいる地域の図書館を使えばたいていの本は手に入る。高価な新刊本であってもリクエストをすれば購入して貸してもらえる。

さらに、ネットを使って師匠や学習サークルを探すことも重要だ。

今の時代、学びの場所を学校や塾に限定する必要はまったくない。ネット上を探せば尊敬できる人物、有能な人物がいて、案外、簡単に会いに行くことができる。オンラインのサークルにも入れる。プログラミングやWEBデザインはN予備校などで学べるし、オンラインの読書会も探せばいろいろある。

自分も今、ある塾に入っているが、高校生だったとしても同じ行動を取っているはずだ。

3)ネットを利用して金を稼ぐ

高校生ならもうインターネットを利用してお金を稼ぐことができる。今の私の収入もネットによるものがほとんどだが、これはいま高校生だっとしても問題なく行える。大人になるのを待つ必要はまったくない。

YouTubeで広告収益を得てもいいし、自分でサービスを考えて提供してもいい。場合によっては会社を作ってもいい。高校生だからお金を稼げないということはまったくない。

むしろ、ネット上では「現役高校生」という肩書きが有利に働くことの方が多いはずだ。自由に学んだり遊んだりするためにも、ネットを使って個人でお金を稼ぐといい。社会人になっていくのにもよい助走となるだろう。


というわけで、自分がいま高校生なら何をするか、考えてみた。

それで分かったのは、実は、現在やっていることと大差がないということだ。たとえ高校生に戻ったとしても、今の社会状況であればやることに大きな差はない。

かつては、社会人と高校生では雲泥の差があった。それぞれに特有の制限があった。しかし、今は主にインターネットがそれをフラットにした。いま何歳であっても、やれることに大きな差はないのだ。差があるとすれば1番目の進学にまつわる部分くらいだろうか。

何にせよ、自分で情報を集め、資金を稼ぎ、自主的に学んでいく――こういう姿勢が重要である。

熊谷西高校の教職員は「戦犯」である

余談になるが、熊谷西高校のホームページに掲載されている「進路実績」を見て驚いた。前からそういうものだと知ってはいたのだが、改めて考えて、そのおかしさを再発見してしまった。

「進路実績」の不誠実な記載

ホームページの「進路指導」>「進路実績」を見ると、そこに「大学入試 合格状況」という一覧表が掲載されている。最新版は2021年度分である。国公立大学と主要私立大学の合格数・現役の数が記載されている。

そこで「私立大合計」を見ると、「合格数 723」「現役 687」とある。明らかにおかしい。熊西の一学年の人数は300人に満たないはずだ。

つまり、この「合格状況」は合格者数の延べ人数なのである。

「青山学院大 5」とあるが、極端な話、これは「5人が合格」ではなく、「同じ人が青学の5学部を併願して合格しただけ」の可能性もある。

国公立は基本的に併願できないから実際の進学数をほぼ表しているとしても、私立の方はこれでは実態が全くわからない。ごく一部の生徒が複数大学・複数学部を受験して「合格数」を水増ししているだけかもしれないからだ。というか、絶対そうなのだが……。

驚くのは、この資料が「4月20日」作成となっているところである。この時期であれば生徒が実際にどの大学に進学したのか、実数が判明している。その数字は、学校側が確実に掴んでいるのである。なのに、それを隠蔽して水増しの「合格数」だけを公表しているのはきわめて不誠実だ。

そもそもこれは「合格した延べ人数」でしかない。これを「進路状況」として掲載しているのはほとんど虚偽情報ではないか。

’22/3/10日確認

サイドバーを見るとさらに誤解を与える記載がある。あたかも100人以上が国公立か難関私立に合格している印象を与える書き方だ。「国公立大学合格」と「難関私立大学合格」については「のべ人数」であるという記載すらなく、「51名」「66名」となっている。

社会的役割を失った組織の末路

進学実数ではなく合格数だけを公表するというやり口は本来、予備校とか学習塾の常套手段である。そういった組織は商売なので、生徒集めのために実績を大きく見せる必要がある。「〇〇大学合格 ○人!」というのはセールスコピーとして機能するからだ。これは理解できる。

一方、県立校がそのやり方を真似る必要はまったくない。むしろ、進路を考える中学生や保護者に誤解を与えるだけだ。

このような「実際よりもいい数字だけを出す」というやり口は戦時中の大本営発表を思い出させるものがある。太平洋戦争末期、戦局が悪化しているにもかかわらず、政府・マスコミは現実を隠蔽してよい情報だけを出し続けた。どこか、それと似ている。

今、熊西には教育機関としての社会的役割が何もない。ヴィジョンもない。むしろ、子供を本当の学びの機会から遠ざけて、古い価値観、古いイデオロギーに染めているという点で害悪ですらある。そういう意味で、熊西の教職員たちは「戦犯」である。戦時中に軍国主義教育を行い、子供たちを戦場へ送っていたのとまったく同じだ。

そもそも今は実力さえあれば私塾のようなかたちで教育も行うことができる。私が通っている塾もそういうものの一つだ。そうした実力のない人間が、雇用と給料のために学校という組織を温存しているのが現状だ。子供たちはその犠牲者に他ならない。

おわりに

今回は、自分が熊西の現役生徒だったらどうするか、という問題を考えてみた。基本的には今現在やっていることとそれほど変わりはない。社会構造が激変しつつある中では大人も高校生も、以前よりだいぶフラットな状態にある。

しかし、熊西という組織に身を置くことでかなりのハンディキャップを負っているのは想像に難くない。その雰囲気に飲まれてしまえば有意義な高校生活は送れないだろう。別の価値観や情報を吸収するために、学外の教育関係のコミュニティや師匠を見つけることが必須である。