不登校の児童生徒が増えている。こんな話をテレビやネットでしばしば目にするようになりました。

こちらでは不登校の小学生・中学生がどのくらい増えているのか、文科省のデータを使ってグラフなどでわかりやすく示し、その原因となった「学校のとある成功体験」についても考えてみます。

データで見る不登校の小中学生の増加

ここからは文部科学省の調査データを見ていくので、「不登校」の定義をまず確認しておきましょう。

文部科学省の調査では、「不登校児童生徒」とは「何らかの 心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、 登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間 30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を 除いたもの」と定義しています。

不登校の現状に関する認識 – 文部科学省

つまり、病気や貧困によるものは除き、年間30日以上学校を休んでいる子供が不登校としてカウントされていることになります。

では、小・中学生の不登校の数を見てみましょう。

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2017年の不登校児童生徒の数

不登校はもう珍しい現象ではない

平成29(2017)年の不登校児童生徒数はこのようになっています。もはや、不登校は特別なことでも何でもありません。

「登校拒否」と言われていた時代とは、向き合い方を変える必要があります。

不登校児童生徒数の推移|26年で2倍

平成のあいだに激増

文科省が平成29年に行い、30年に公表した調査結果から、不登校の小・中学生の数をグラフにしたものをご紹介します。

不登校児童生徒数の推移
出典:平成29年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について,p.73
(オリジナルに西暦表記と一部数字を追加)

このように、平成のはじめの方から不登校の数は急増しています。平成3年(1991年)には小中合わせて6万6817人だったのが、一つ目のピークである平成13年(2001年)には13万8722人まで増えています。ほぼ2倍ですね。

そのあとゆるやかに減少していきましたが、また平成25年(2013年)からは増加に転じ、平成29年(2017年)には14万4031人と過去最多になっています。

平成に入ってからは「急増し、少し下がって、また急増」という動きになっています。最近は不登校が増えているというのはただのイメージではなく、客観的な数字からも明らかです。

不登校の割合の推移|26年で3倍

パーセンテージで見ると増え方はさらに顕著

先ほどのグラフは不登校の子供の数を示したものです。では、全体の児童生徒のなかに占める割合はどうでしょう? 子供の数自体も変化しているので、割合で考えた方が実態が鮮明になるはずです。

確認しておくと、平成3年(1991年)時点では、小学生が全体で915万7429人、中学生が518万8314人でした。それが平成29年(2017年)には小学生が646万3416人、中学生が335万7435人とかなり減っています。

全体で考えると1435万人いた小・中学生が982万人となっているのでほぼ3分の2に激減していることになります。

では、その中で不登校の小・中学生の割合はどうなっているのか。これも同じ資料の中にグラフがあります。

不登校児童生徒の割合の推移
出典:平成29年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について,p.73
(オリジナルに西暦表記と一部数字を追加)

全体で見ると不登校児童生徒の割合は0.47%から1.47%へと増えています。割合で見ると、先ほどの絶対数よりもさらに急激な増加ぶりが浮き彫りになりました。グラフの左端と右端を比べると、その26年で小学生の不登校割合は0.14%から0.54%へ、中学生は1.04%からなんと3.25%にまでアップしています。

不登校の数は2倍、割合は3倍

以上のデータを短くまとめるとこのようになります。

不登校の小・中学生の数は1991年から2017年にかけて2倍に増加。割合で考えると3倍になっている。

これはかなりの変化で、社会問題として大きく受け止められているのも頷けます。中学生にいたっては、クラスに不登校の子が1人か2人いるのが標準というのが現状です。

また、ここ20数年で不登校の児童生徒数が急増しているので、わたしたち日本人の意識が追いついていないのもわかる気がします。もはや不登校はありふれた事柄なのに、いまだに昭和後期や平成初期の感覚で物事を捉えてしまうという傾向があるでしょう。

不登校が増えた原因を考える

昭和の古いレコード

平成のあいだに不登校の児童生徒は劇的に増加しました。その原因は何なのでしょうか。現代の子は少子化で甘やかされているから? インターネットやゲームに依存していて、人間関係での忍耐力が失われたから? 私の考えは、違います。

実社会と学校のあいだに生まれた歪み

端的に言えば、古い学校制度がいよいよ時代遅れとなり、その歪みが不登校というかたちで露呈してきた。こういうことだと思います。

第二次大戦後、昭和の時代を通じて日本の教育システムはきわめてうまく機能していました。均一な能力と協調性、さらに組織や規則への順応性を持った国民を多く生み出し、そうした人々が労働力として日本の経済成長を支えてきたのです。そこで重要視されていたのは他人と同じであること(画一性)、組織のルールに黙って従うこと(従順さ)でした。

しかし、平成になると日本は長い不況へと突入しました。かつてのような経済成長は望むべくもなくなり、会社組織のあり方も、個人個人の働き方も、生き方を決める価値観もがらりと変わってきました。

その結果、今では政府みずから「働き方改革」を唱えるようになり、残業労働の削減、副業の解禁といったことも起こっています。つまり、組織の中でサラリーマンとして働くという生き方は時代遅れになりつつあるのです。

ところが、社会が変化していく中で学校制度は旧態依然としたままです。いまだに画一性と従順さを重視するシステムから脱皮することができていないのです。社会はもはや、むかしのような画一的で従順な人材は求めていない。なのに、その準備段階である学校ではそういった時代遅れの教育をなおも続けている。ここに大きな歪みが生まれている。

なぜ学校がこれほど強固に変わろうとしないのか、古くさい教育を続けているのか? それは、昭和の時代があまりにうまく行っていたからでしょう。あまりにうまく教育が機能し、経済の発展を実現したため、その成功体験から抜け出すことができない。これが実情ではないでしょうか。

個人の場合で考えても、長いあいだうまく行っていたことというのは、なかなか変えることができないものです。それが国家ぐるみの教育制度ともなれば、ますます舵を切ることは難しくなるでしょう。

このように社会と学校のあいだの溝が大きくなるにつれ、不登校の児童生徒数も増加しているように、私には思えるのです。

なぜ2002年から2012年は不登校が増えなかったのか

不登校の児童生徒数の推移は「急増し、少し下がって、また急増」というかたちを描いていました。では、なぜ平成14年(2002年)から平成24年(2012年)のあいだは不登校の数が増加しなかったのでしょう? 社会と学校制度の歪みは拡大していたはずなのに。

平成の間にも不登校が減少した時期があった

そのひとつの答えは土曜日が休日になっていったことにありそうです。もともと土曜日も授業があったのが、このように週休2日制へと移行しています。

1992年9月:毎月第2土曜日が休み
1995年4月:第2土曜日に加え、第4土曜日も休み
2002年4月:完全週休2日制

私自身も2002年には高校で不登校状態でした。しかし、この年に高校3年生となり完全週休2日となったことで、ずいぶん楽になったのを覚えています。

週休2日となって学校のある日が減ったため、文科省定義の「年間30日以上の欠席」としてカウントされる児童生徒もかなり減ったと考えられます。もちろん、私のように心理的負担が減って通いやすくなった子供も多いことでしょう。

つまり、2002年からしばらくの間はこの週休2日制への移行が大きく影響しているに違いありません。

不登校はさらに増加するだろう

以上、不登校の小・中学生がいかに増えたのか、文部科学省の統計データを使ってご紹介しました。26年のあいだに数は2倍、割合では3倍にも増えているという驚きの結果です。

もうすぐ平成も終わろうとしていますが、学校という制度・組織はなかなか大きく変わる気配がありません。一方、社会の方はめまぐるしく変化しています。このギャップはまだしばらく拡大し、その歪みの現れとしての不登校は増加していくものと考えられます。

さて、この記事では不登校となった児童生徒自身がその「不登校の理由」をどう考えているのかについては触れませんでした。また、文科省の「年間30日以上の欠席」までではない、準・不登校の子供についても取り上げていませんでした。

こうした問題については、次の記事で詳しくお伝えします。

不登校データリンク集

不登校関連のデータへのリンクをまとめておきます。