「格差社会」の問題が叫ばれはじめ、もう10年以上になるでしょうか。非正規雇用、ワーキングプア、ブラック企業などなど、格差の底に沈む人々の惨状が、手を替え品を替えメディアを賑わせています。

たとえば、先ごろもこんな表が話題になりました。

出典:あなたはどの階級? 「格差社会」から「階級社会」に落ちる日本|AERA dot.

見ると、非正規労働者で構成されるアンダークラスは929万人という巨大な一群を形成しており、その平均年収は186万円。「年収300万円時代が来る!」(森永卓郎)と騒がれていた頃が懐かしくなってくるほどです。

しかし、この階級社会の図を含め、巷で語られていることはどれも格差の本質を突いていません。埋めがたい格差を生じさせるもの、それは国語力、すなわち、読解力と論理的思考力の差に他なりません。

学歴より年収より大切な国語力

AIvs教科書が読めない子どもたち
日本人の読解力の低さを調査したこの本は話題のベストセラーとなった

格差社会と聞いたとき、まっさきに思い浮かぶのは何でしょうか。学歴の差? 正規と非正規という雇用形態の差? あるいはストレートに年収?

たしかに、どれも重要な要素ではあります。

ですが、そのいずれも表面的な事象に過ぎないと思うのです。それらすべての根っこにあるのは、学歴や職業や年収を左右してしまう個々人の基本的な国語力——つまり、読解力と論理的思考力の格差です。

  • 文章を読んで正確な意味を理解する読解力
  • イメージや感情に惑わされず論理的に物事を捉える思考力

この2つがあらゆる格差の根本にある気がしてなりません。

「思考力はともかく、文章を正確に読むなんてだれだってできるでしょう?」

いいえ、それができていないのです。一例として、次の問題を考えてみてください。

次の文を読みなさい。

Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。

この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。

Alexandraの愛称は(   )である。

  1. Alex
  2. Alexander
  3. 男性
  4. 女性

引用:新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社,p.200

いかがでしょうか? 正解はこの記事のいちばん下に書いておくとして、この問題、中高生の正答率はどのくらいだと思いますか? 調査の結果、中学生で38%、高校生で65%だったそうです。中学生は半数以上が、高校生でも3分の1はこれを間違えるのです。

できる人から見ればあまりに簡単な問題で、初歩的な国語力があれば正答できるはず。もしこのレベルの読解ができないとなると、さまざまな不利益を被ることになるでしょう。

読解力と論理的思考力が低いことによるデメリット

国語力がないと社会の底へ落下してしまうかも(イメージ)

学歴や就職で差がつくのはもちろんですが、社会を見渡すともっとわかりやすい格差が浮き彫りになっています。読解力と論理的思考力が不十分なために、金銭的なデメリットを被っている人々がいる。

たとえば、その代表が架空請求詐欺です。

詐欺業者から送られてくる文章は、たいてい破綻しています。「てにをは」を間違えていたり、誤字脱字が満載だったりして、「本当に日本人が書いたの?」と思うような不自然なシロモノばかりです。

しかし、彼らは日本語が下手なのではありません。あえて不自然な文章を書くことで「下手クソな文章に気づけないほど読解力のない人」をスクリーニング(選別)しているのです。

そうすることで、あとあと厄介になる能力の高い人間は架空請求をスルーしてくれます。よって、騙しやすい人だけをカモにできるという寸法です。

また、詐欺ではないにしても、世の中には読解力と論理的思考力のない人間をカモにする人や企業がウヨウヨいます。たとえば、スマホの大手キャリア。

彼らはその料金体系を、一筋縄では理解できない複雑な仕組みにしています。その結果、多くの方が不必要に高額なプランで契約し、使いもしないオプションに加入させられている。そうして毎月、高い固定費を支払わされているのです。

NTTドコモでiモードを立ち上げた夏野氏の母親も高額オプションの餌食に

もし読解力に優れ、みずから思考する力があれば、こんなことにはならないでしょう。場合によっては格安SIMに移行し、月の料金を5,000円減らすことだってできる。

スマホ代ひとつ取っても、契約内容が理解できないだけで割高な料金を取られてしまうのです。

読解力と論理的思考力が削がれる理由

はて、しかし、なぜこのような搾取のような構造ができあがっているのか? なぜ、基本的な読解力と思考力を備えない人が多いのでしょう? おそらく、有力な理由が以下の3つです。

理由1:テレビ番組の影響

だれが言ったのか、こんな皮肉めいた言葉があります。

「テレビ番組は、頭のいい人が頭の悪い人向けに作っている」

感じの悪い表現ですが、まったく間違った指摘でもありません。過剰な字幕、パチンコのような音と光の効果、CM開けに10秒ほども同じことを繰り返す編集——すべてが思考力を使わなくていい作りになっています。

もっと言えば、そのようなテレビ番組の制作スタンスは「自分で考えなくていいんだよ」というメッセージのようでもあります。これは、穿った見方でしょうか。

そんなテレビ番組を見続けること。これは、読解力と思考力が低下するひとつの要因になっている気がします。

理由2:大人たちが勉強しない

日本の大人たちはとにかく勉強をしません。総務省統計局が出したデータがあるのですが、大人たちの1日の平均学習時間はどれくらいだったと思いますか?

答え。なんと、6分です。

雇用されている15歳以上の男性の調査結果
出典:平成28年社会生活基本調査結果|総務省統計局,31ページ

これは平均ですから、実際には一部の人は毎日読書その他の学習をしていて、残りの人はまったくのゼロということなのでしょう。それにしても1日6分には驚かされます。

かつては終身雇用が生きていて同じ業務だけしていればよかったうちは、「学生のあいだだけ勉強して、就職したら勉強しなくていい」というのが共通認識だったのかもしれません。が、今の時代、ろくに本さえ読まない大人たちが周りにいたら、子供もまともに勉強しようとは思えないでしょう。

理由3:学校教育の偏り

大人が自発的に勉強していないとしても、では、子供たちは学校でしっかり勉強しているのか? そこで読解力と論理的思考力を鍛えられているか? ここにも疑問があります。

学校という場所では、同質的な子の集団の中でうまく立ち回ることが要求されます。平たく言えば、キャラを演じる、空気を読むという能力が必要とされるのです。それができなければいじめられたりつまらないヤツの烙印を押されてしまう。スクールカーストの下位に落とされてしまう。

それゆえ、学校という場に適応すればするほど、他人の感情を感じ取ったり雰囲気で行動を決めることが習い性になっていきます。これはこれで一つの能力ではありますが、一方で、物事を論理的に考えて決断を下すことができなくなってしまうのです。

各教科の授業では読解力と論理的思考力が鍛えられるものもあります。が、しかし、学校というシステム自体はむしろ、真逆の能力を養成してしまっている節があります。

不登校は能力を伸ばすチャンス

今の社会には目に見える格差の根源に国語力の差、すなわち、読解力と論理的思考力の差が横たわっているということを見てきました。今後もこのような構図は維持されていくと思います。

では、このサイトのテーマである不登校に関して言えばどうなるのか? 不登校になったら、その2つの能力は育ちづらくなるのか? いいえ。むしろ、空気の読み合いを強いる環境から逃れられるので、チャンスかもしれません。

全員で決められたことをやったり、いま流行りのAIに似た表層的なコミュニケーション能力を鍛えたりという古い学校教育から離れたときこそ、読解力と論理的思考力を育む絶好の機会です。

大多数の人がゆく道からはずれ、少数派になると、人は自分で考えるようになります。「なぜ学校に行かなければいけないのか?」この問いひとつ取っても、不登校にならなければ直面しえないものですから。


問題の答え……1.Alex