自身の学歴に劣等感を抱く、いわゆる学歴コンプレックス。現役学生のみならず20代、30代、下手すれば一生つづく可能性がある、厄介な問題です。

かく言う私も、かつては学歴コンプレックスに捕われていました。

この記事では、かつて学生の頃、私の学歴コンプレックスがいかなるものだったか、そして、それがどう解消されたのかをお伝えします。

私の学歴コンプレックスの系譜

34歳の現在、私に学歴コンプレックスはありません。が、10代の頃は典型的な学歴コンプだった。自覚すらないほど、当たり前に学歴に捕われていました。

ちなみに、この記事では学歴コンプレックス=「必要以上に学歴を気にしている状態」と捉えることにします。

中学時代:いい高校に行かなければと思い込む

小学校の頃から勉強ができた私。テストでは90点以上が当たり前だし、通知表もほぼすべてマックス評価で、国語とか体育が若干低いだけという、いわば優等生でした。

中学でもその傾向は変わらず、定期テストでは平均80点以上。調子がいいときは5教科で450点を取るなど、「できる子」を貫いていました。

高校受験が近づいてくると、めざしたのは地元で評判の進学校。埼玉県の中学生が受ける北辰テストでは、偏差値が62ほどもありました。夏ぐらいから受験勉強を開始し、見事合格。

実は、副担任からは「記念受験で受けるの?」とまで言われてたので、この合格には鼻が高かったものです。

ところで、なぜその高校を志望したのかといえば、はっきり言って偏差値が高かったからいわゆる「いい高校」だったからです。当時の私は、とにかくめいっぱい偏差値の高い高校へ行くことが当たり前だと思っていたのです。

高校時代:いい大学に行かなければと思い込む

熊谷西高校
「失望とは何か」を教えてくれた、埼玉県立熊谷西高校

いざ高校へ入ってみると、そこは想像していたのとは大違いでした。勉強はつまらないし友達はできないし学食は混んでるし、とにかくすべてに失望しました。

高校時代の生活については他の記事を読んでいただくとして、ここでは学歴コンプレックスについてのみ書きましょう。

私は入学してはやい段階で勉強に嫌気がさし、2年生で挫折、3年生では学業を完全放棄していました。

しかし、にもかかわらず、いい大学に行かなければいけないという気持ちだけは持っていました

冷静に考えれば、「いい高校に行きたい」と思って入った高校に大失望したんですから、もう「いい大学に行きたい」なんて思わなきゃいいんですが、そうはならなかった。

というのも、一応は進学校なのでほぼ全員が大学に進学して当たり前。おまけに教師たちは「現役合格」とか「国立大へ」とか「できれば旧帝大へ」とけしかけるし、「西高生は地頭はあるのに、サボるから日東駒専しかいけないんだぞ」と煽ったりする。日々、学歴脳を刷り込んでくる。

なので、いい大学へ行かなければとの思い……というか、強迫観念がますます肥大してくるのです。

具体的に言うと、東大に行きたいと思っていました。だって、東大がいちばん偏差値の高い大学なんですから、そこへ行くのがベストでしょ? だったらそこを目指すのが当然でしょ? ——こんな思考法です。

埼玉大学や群馬大学なんてダサいし、東北大は寒そうだし、早稲田と慶応はしょせん私立です。やっぱ東大がいちばん。せめて京大に行かなくちゃ。

そんなふうに思ってたのですが、しかし、実を言うと当時は早慶より下の大学、いわゆるマーチとか日東駒専については名前しか知りませんでした。学部や入試科目すら調べていませんでした。何ら現実的なことを考えていない、お花畑状態です。

おまけに学校は遅刻しまくり欠席しまくり、たまに受ける模試は偏差値50に届くかどうかで、名のある大学はことごとくE判定。お遊びで書いたFランク大学のみがA判定とかB判定というお粗末っぷりでした。

で、他の記事でも書いたように、劣等生のまま卒業まで過ごした私は、ついに大学受験さえしないまま宅浪生という名のひきこもり生活に突入したのでした。

浪人時代:偏差値50以下なのに京大を第一志望にする

大宮予備校=オオヨビの自習室
今はなき、大宮予備校(オオヨビ)の自習室
(出典:予備校パンフ紹介シリーズ127「10年度/大宮予備校 学校案内」 | 鈴木悠介オフィシャルブログ)

一浪目については省略。ここは勉強すらせずほぼひきこもりでしたので、特筆すべきことはありません。しかし、二浪目になろうというとき、いよいよ私の中で「進路をどうするか」が切迫したものになってきました

一年くらいなら「自宅で浪人してました」で済む。だけど、このまま二浪三浪はまずい。本物のひきこもりになってしまう。

そこで、私は京都大学をめざすことにしました

お察しの通り、まだバリバリ学歴に捕われています。大学のネームバリューという呪縛から一歩も抜け切れていない。東大を第一志望にしなかったのは東京というごみごみした街が苦手だったからで、ならば二番手の京大にしようと短絡的に考えています。

当時、私の偏差値は50を切るぐらい。しかも、現役生も受ける模試で。基礎ができてないのに、一年で(実質10ヶ月で)京大は無謀すぎる。けど、私はそう決めました。

で、実家から出て大宮予備校(オオヨビ)の寮に入り、人生ではじめて本気で勉強しました。毎日授業を受け、上記画像の自習室にこもること10ヶ月、すべてを受験勉強に捧げました。

一年後、結果はどうなったか? ……残念ながら京大は不合格。前期試験も後期試験もだめでした。

大学受験という人生のビッグイベントに、私はもろくも敗れ去ったのです。

大学時代:同志社大学が気に入る

同志社大学京田辺キャンパス
同志社大学京田辺キャンパス

京都大学に不合格となった結果、進学したのは同志社大学です。不満でした。

「京大に行きたかったのに、同志社なんていうよくわからない大学に来てしまった。5教科全部がんばったのに、3教科だけで入れてしまうしょぼい私立の大学生になってしまった。ああ、仮面浪人して来年また京大を受けようかな……」

と、こんな心境です。

ちなみに受験した大学としては、第一志望が国立・京都大学。第二志望が同志社、次が立命館でした。これより下の大学は、あとで述べる理由により受験すらせず。

なので、一応第二志望にはひっかかったわけですが、そこは完璧主義かつ学歴コンプの私、決して満足はしていませんでした。入学して数日はちょっと本気で仮面浪人も考えてたくらい。

しかし、そこからオリエンテーションを受け、新歓コンパに参加し、学科に友達ができてくると、私の意識も変わっていきました。「あっ、同志社いいじゃん」と

さらに、創立者・新島襄について授業で学んだり、世間の評価を知るにつれ、同志社への愛着が湧いてくる。新島が国禁を犯し、アメリカに渡って、やがて帰ってきて作った由緒ある私学。西日本でナンバー1の私立。いいじゃないか。

というわけで、同志社への入学後しばらくし、私の学歴コンプレックスはあっけなく解消されたのでした。

その後:学歴は関係ないと実感

「おい、待て清水。それは同志社で満足したという話であって、学歴コンプが治った……つまり、学歴へのこだわりが消えたのとは違うんじゃないか?」

たしかに、おっしゃる通り。この段階では「同志社が気に入った」という話であって、学歴へのこだわりを脱したわけではありません。もし進学した先がもっと偏差値の低い学校だったら、こうはいかなかったかもしれない。

しかし、学生生活を経て社会人になり、「学歴は関係ない」との実感はつよくなりました

いま私はフリーランスとして働いていますが、仕事仲間を見ていると、本当に学歴は関係ないと感じる。早慶以上の高学歴でもパフォーマンスがいまいちな人もいれば、月300万円以上稼ぐ人が中卒だったりする。本当に関係ない。

好きな小説家が何人かいますが、山崎ナオコーラは第7志望くらいで入った國學院大学だし、天才・清水義範はたしか名古屋大落ちの愛知教育大学卒だし、西村賢太は中卒です。

学歴コンプレックスなど、外的要因によって作られた、一種の幻想だったのです。

なぜ学歴コンプレックスが生まれるのか?

東大の合格発表
東京大学の合格発表掲示板
Kainoki Kaede[CC BY 2.0(https://creativecommons.org/licenses/by/2.0/)]

では、学生の頃の私をはじめ、なぜ学歴コンプレックスなどというものが生まれてしまうのでしょう? これについては持論があります。3つご紹介しましょう。

1:塾・予備校のマーケティング

第一はこれ、学習塾や予備校業界がしかけたマーケティングです。日本人の多くがこれにひっかかってしまってる。

そもそも、早慶上智とかGMARCHとか、関関同立とか日東駒専とか、おかしな括り方だと思いませんか? 偏差値の近い同じ地域の学校を、校風や教育方針無視で、強引にグループ化している。これらすべて、予備校が作ったものです。

大学をブランド化することで、「もっといい大学をめざせよ!」とけしかけて、そのための教育サービスを売る、いわゆるツルハシ・ビジネス。私たちはそれに乗せられているのです。

私が滋賀で塾講師をしていたとき、上司がこう言っていました。

「生徒たちには、膳所(ぜぜ)高校をいい高校だと思ってもらわないとだめなんだ。我々が膳所高校をうんと持ち上げるんだ。ヨイショするんだ」

膳所高校とは、偏差値75ほどもある滋賀の進学校です。その上司が言いたいのはつまり、講師の側で膳所高校にブランドイメージを担わせ、生徒をやる気にし、進学実績をあげよう、ということ。

「なるほど。こうして学歴コンプレックスが醸成されていくのか」

私はそのとき、深く納得したものでした。

にしても、これだけ多くの日本人が高校や大学をブランドイメージで序列化して捉え、それにこだわってるんですから、塾・予備校業界のイメージ戦略・マーケティング戦略には舌を巻くものがありますな。

2:親の影響

第二の元凶として、親の影響も大きいと思います。

おそらくですが、親が学歴など気にしない人間であれば、子供もこだわりは持たないでしょう。学歴の高い低いには意識が向かないはず。

しかし、親自身が学歴にコンプレックスを持っていて、なおかつ、自分が諦めた「夢」を子供に担わせたりすると、学歴コンプレックスはそのまま受け継がれてしまう

私の場合も母親が学歴にこだわりを持っていました。「子供にはいい大学に行って欲しい」と思っていた。中学まではなまじ成績がよかったため、「将来は東大へ行けば?」などと下手なことを言っていたのです。これが呪縛になってしまった。

先ほど、立命館大学より偏差値の低い大学は受験できなかったと書きましたが、それも母親によるもの。私自身は滑り止めで京都産業大を受けたかったのですが、「そんな大学は受けさせない」とにべもありません。

当時の私は高校でほぼ勉強せず最底辺を這っていた劣等生です。10ヶ月ほど勉強したとはいえ、最低ラインが立命館とかありえない。

しかし、そんな理屈は通用しないのでした。

3:ネットのネガティブな磁場

現代の学歴コンプレックスは、インターネットによって増幅されている面もかなりあります。

ご存知だと思いますが、インターネットというものはとかくネガティブな言説が広まりやすい。たとえば2ch(今は5ch?)を見てみると、ネガティブな感情が渦巻いています。他人への評価も手厳しい。

学歴に関してはみな評価が辛く、「高学歴」の基準が高い。世間的には立教や学習院は十分に高学歴だし、日大や東洋もわるくない大学ですが、ネット基準だと「早慶より上じゃないと高学歴じゃない」とか「国立以外認めない」となってしまう。ネットの世界にはそういうネガティブな磁場があるのです。

そんな評価基準を内面化してしまえば、よっぽどでない限り学歴コンプレックスに蝕まれてしまいます。

ブログで書くのもなんですが、ネットの書き込みにはご用心、ということです。

人生、好きなことやったもん勝ち

私自身の学歴コンプレックスの推移、それからその原因として考えられるものをお伝えしました。

まとめるならば、学歴コンプレックスとは塾・予備校業界がしかけたマーケティングであり、社会が作り上げた幻想です。そもそも受験で測れる人間の能力などごく一部。それで人間の優劣が決まるはずはないのです。そこそこでいいんですよ、学歴なんて。

最終的には人生、好きなことをやったもん勝ち。だれかがこしらえた価値基準など、捨ててしまえばいいのです。