1年生で勉強につまづき、2年生で不登校発動、3年生では遅刻・欠席の常習犯となった高校生の頃。定期テストでは平然と1桁の点数を取り、模試の偏差値は50を切るくらいで……。

そんな、落ちこぼれのお手本みたいな私でしたが、浪人を経て何とか逆転することができました。そのままひきこもりニートになる末路もありえたのですが、無事、同志社大学に進学して大学生になれたのです。

この記事では、いかに偏差値50以下の落ちこぼれから脱出し、難関と言われる大学に合格できたのかをお話します。

重要だったのは、【とある2つのもの】でした。

落ちこぼれのまま高校を卒業し宅浪へ

熊谷西高校
落ちこぼれ落第生のまま卒業した埼玉県立熊谷西高校

中学で学年トップレベルだった私は地元で評判の進学校に合格、当然のごとく順調な高校生活を送れると思っていました。

しかし、退屈な授業と友達ができない孤独の中でみるみる学業への意欲を失い、成績も低迷。得意だったはずの数学でも100点満点中の3点を取るなどズタボロの劣等生へと成り下がりました

普通、こうなったらどこかで奮起するものでしょう。

「このままじゃまずい。大学受験もあるし、そろそろ本腰入れないとマズいぞ」

在学中、一度や二度は、そんなふうに思うものでしょう。

ですが、登校するだけで疲弊していた私にそんな転機は訪れず、毎朝遅刻するものだから朝のホームルームで伝達されてた受験情報も入ってこなくて、大学はひとつも受験することなく、劣等生のまま卒業の時を迎えてしまいました。

「ああ、何もしないまま卒業してしまったな……」

あのときの虚無感は途方もなく大きくて、捉えどころのないものでした。

「卒業。……卒業? 何もしていないのに? 卒業ってどういう意味だっけ? これは、事実上の放校処分じゃないか? 時間切れ、ゲームオーバー。3年経ったからもう来なくていいよ。お疲れ様。って、そういうことだろ?」

大嫌いだった高校。死ぬほどやめたかった高校。もうそこへ行かなくていいという安心感を得ると同時に、何の手がかりもなく「無職」になった奇妙な感覚で、私はボーッとしていました。

この「ボーッと」は、そこから一年間つづくことになります。挽回? 逆転? 大学受験? それどころではありません。疲弊しきった上に、何のよりどころもない状態で、生きているだけでギリギリでした。

この頃はただ、本を読んだり少しバイトをしたりして、虚無感の中を漂う日々を過ごしていました。


高校卒業から1年が経とうという頃、私は倉庫でアルバイトをしていました。

うず高く積まれたから段ボール、そこからピッキングされた数十個がコンベアーを流れてくるので、私たち男衆が車輪付きの台車に次々に積み込んでいき、トラックの運転手へ流すお仕事です。全身を使い、テトリスの要領で箱を積んでいく作業はなかなか楽しかったものです。

カゴ車
こういうカゴ車にダンボールを積み込んでいた

が、そんな時給780円の肉体労働に励んでいると、ふと、「何やってるんだ?」という気分になってくる。

「割と優秀な中学生で、高校も進学校を出たはずなのに、これではただのフリーターじゃないか! 19歳にもなって、こんなことをしている場合なのか?」

そこで、ずっと先送りにしていた大学受験というものに、ようやく向き合う気になったのでした。

大学進学を決意し大宮予備校の寮に入る

大宮予備校の自習室
(出典:予備校パンフ紹介シリーズ127「10年度/大宮予備校 学校案内」 | 鈴木悠介オフィシャルブログ)

いかにして大学に受かる学力をつけるか? 少し考えて、予備校に通うことにしました。このとき、高校1年の勉強さえわからない状態ですから、さすがに独学は無理。あらためて学校に通ってやるしかない。

そこで、インターネットで検索して発見したのが大宮予備校、通称「オオヨビ」でした

駿台予備校や代々木ゼミナールに比べると小規模な予備校でしたが、ひとつだけ、他には変えがたい魅力があった。それが、無料特訓寮です。

桶川にその予備校専用の男子寮があり、なんと、1年間、食費や光熱費のみの実費で住まわせてくれるというのです。賃料ゼロ。たしか年間の費用が30万円とかその程度でした。

「ここに入るしかない!」

ブラウザをのぞきつつ、私は確信しました。それまで暗黒の高校時代、ひきこもりフリーター時代を過ごした実家からは、もう出る必要があると直感していたからです。環境を変えなければならないと、本能レベルで感じていました

私はさっそく大宮予備校の寮へ申し込み、ようやく19歳にして受験生としてのスタートを切りました。

で、実際その寮に行ってみると、一人用のスペースが3畳ほどで、上部は空調の関係で広い隙間があいています。出入り口もドアではなく、アコーディオンみたいなしょぼい引き戸。つまり、漫画喫茶のブースみたいなもの。

(まあ、無料特訓寮だし、しゃあないか)

ええ、もちろん、そこに優雅な生活など求めてはおりません。私たちは予備校が進学実績をあげるために囲い込まれた一種のスケープゴート。そのタコ部屋で、大学合格という勝利を掴みとるしかないのです。


さて、他の記事では「高校生のとき友達ができなかった」と書いていますが、この予備校時代はどうだったのか? 実は、これが何の問題もなかった。

自分はコミュニケーション能力が低いのではないかと思っていましたが、予備校では寮に入って早々に気の合う友人を見つけ、いっしょに登校したり食事に行ったり、勉強を教えあったりしていました。

人間関係なんてのは、環境によって全然変わるのです。

高校は住んでる場所と偏差値が近いだけの生徒が同じ教室に集められますが、予備校はちょっと違う。全員が浪人生で、切羽詰まった状態の中、集まってきている。1年後の大学合格という、はっきりした共通の目的がある

おまけに、文字通り同じ釜の飯を食い、いっしょに風呂に入り、眠ってるときもいびきが聞こえるくらいコアな共同生活をするわけです。

そうなると、自然と親密な関係が生まれ、いわば戦友のような意識が芽生えてくるのです。

大学受験に立ち向かうにあたり、あの仲間たちの存在はとてつもなく大きなものでした。

高1レベルから叩き直される

当時、私の学力は中学3年生に毛が生えたレベル。偏差値でいうと48くらい。進学校出身者としては完全な落ちこぼれです。

そこから這い上がろうという意志はあったものの、一つ不安要素が……それは、予備校の授業が高校の基礎を前提にして進んでいくのではないか、というもの。

だって、対象がそもそも浪人生なのです。ということは、「ここは高校でやりましたよね?」って感じで、あまりに基礎基本の部分は省略されてもおかしくない。そこはすっ飛ばして、入試のテクニックの解説から入るのかもしれない。そう思っていました。

が、ここは嬉しい誤算。大宮予備校では、本当に基礎レベルから教えてくれたのです。

「えっ、高校? 何それ。そんなのあったっけ?」

と言わんばかりの雰囲気で、一から教えてくれる。数学は公式の解説から、英語は初級文法から、古典は助動詞の活用の覚え方から、ていねいにやってくれるのです。

今思うと、浪人生とはいえ、私みたいな人間がかなりいたということでしょう。つまり、現役のときほぼ何もやってなかった人たちが。

そんな前提でやってくれる授業がありがたかった。

平日は午前中に授業があって、午後からは自習室で勉強していました。向かいがパチンコ屋のビルで、窓が開いてるとCR北斗の拳の「Youはschock!」という曲が流れてくる。そんな中で、無料の紅茶を何杯も啜りつつ、生まれてはじめて本気の勉強に取り組んだのでした。

浪人時代の思い出の曲「愛をとりもどせ!」
「北斗の拳」自体はいまだにアニメも漫画も見たことがない

夏休み明けにすべて上位クラスへ

大宮駅
大宮駅前のデッキ

予備校への入学時、クラス分けのテストがありました。そこで、私はだいたいどの教科も上から2番目のクラス。

といっても、そもそも2つしかクラスがなかったりするので、ポジションは微妙です。進学校の落ちこぼれなりの、偏差値50なりのクラスへと振り分けられました。

しかし、そこから半年弱、必死で頑張りました。

予習を欠かさず行い、自習室では6時間も7時間も勉強し、あさは早起きして世界史の問題集を2ページこなして、無印良品で買ったB5のレポート用紙に毎日英単語を20個書いて、電車の待ち時間を利用して暗記する。そんなストイックな生活を送っていました。

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この時期に編み出した勉強法の工夫についてはこちら。

これで偏差値12UP! 勉強のやる気を起こす方法3つ【真似していいよ】

結果、夏休み明けにあった2度目のクラス分けでは、晴れて全教科で最上位のクラスに入ることができたのです。

久々に、本当に久々に、努力が評価された瞬間でした。

私は最初から寮の仲間に「京大が第一志望」と公言しておりまして、なのに2番目のクラスという不自然さもあったのですが、これで一応、その予備校内では「できる奴」認定されたと思います。

たった半年、それだけで随分変わりました

そこからの数ヶ月も寮の仲間と切磋琢磨し、さらに勉強に励んでいきました。好きだった小説もこの予備校生活のあいだは1文字も読まず、映画や買い物といったレジャーも完全にゼロで、ひたすら勉強のみに打ち込みました。

寮で風呂に入って、また部屋で少し勉強しようとしてると、

「清水くん、明日の数学の問題わかった?」

千葉大志望の友人が話しかけてきて、

「えっとね、考え方はわかったよ。数列を全部2で割ると考えて……」

などと、やり方を説明すると、

「おお、すげぇ。それは賢いわ!」

と感心されたりして。

その頃には3点を取っていた事実などなかったかのように数学も挽回し、周囲に頼られるまでになりました。これは嬉しかった。

ただ勉強をしただけではなく、仲間と出会えたこと。これが浪人時代に得た何よりの財産です。

さようなら、オオヨビ

余談ですが、私が卒業してから数年後、オオヨビこと大宮予備校はこの世から消えてしまいました。検索しても情報が出てこないので、倒産したのでしょう。

どうやら評判も合格実績も、あまり振るわなかったようです。

しかし、私にとっては格安の寮を提供してもらえて高1レベルから叩き直してもらった最高の学校でした。

京大に落ちて同志社大学に入学

同志社大学京田辺キャンパス
私の入学時、1、2回生は京田辺キャンパスで過ごしていた

結果、どうなったか? 現役のときにイヤイヤ受けたセンター試験はトータルで50%の得点率でしたが、このときは85%を取ることができました。大幅な進歩です。

「関係代名詞って何?」というレベルだった英語も、たった3問ミスの180点を獲得。得意科目と言えるまでに持ち直した数学1・Aは100点満点。その他、多くの科目で8割を超えることができました。

で、第一志望の京都大学はどうだったか? ……これは、残念ながら不合格でした。

足切りラインは余裕で突破したものの、前期試験も後期試験もだめで、あえなく京大への夢は潰えたのです。

予備校の10ヶ月間で全体的な学力はかなり底上げされましたが、最終的に京大の入試に対応するだけの時間はありませんでした。さすがに偏差値50から1年たらずで京都大学は厳しかった。

とはいえ、憧れだった京都の地にある同志社と立命館には合格し、大学生になれることは確定したのでした。

他の記事では「不満だった」とか「学歴コンプレックスを抱いた」と書きましたけど、不登校気味の落ちこぼれからはじまり、ひきこもりとフリーターを経て、名のある大学へ行けることになった。——この事実に一定の満足感、達成感を覚えたのも事実です。

「やっぱおれ、やればできるじゃん」

そう思うことができました。

同大生として過ごす不思議な感覚

京都四条大橋
京都の鴨川に架かる四条大橋

大学に入学してからも、私は学業に真剣に取り組むことに決めました。

というのも、もう高校時代みたいな無意味な時間を過ごしたくなかったから。落ちこぼれには戻りたくなかったから。

すると、幸いなことに同志社大学には学生の熱意にこたえてくれるだけの授業や学習機会がそろっており、カリキュラムもかなり自由で、心置きなく勉強することができました。もう「受験のため」という変な制約もないので、好きなことを学ぶことができたのです(熊谷西高校とはえらい違いです)。

そうするうち、私は大学でも「できる奴」と見られるようになりました。高校時代・ひきこもり時代にはもはや永遠に閉ざされたと思っていた大学生活を、現実のものにすることができたのです。

しかも、第二志望だったとはいえ、同志社大学の社会的評価は思ったより高く、一流大学の優秀な学生という見られ方をする。悪い気はしません。

ただ、これは嬉しい反面、違和感もありました。

「おれは地方にある微妙な進学校出身で、おまけに不登校気味の劣等生だった。そのあとは勉強もせずひきこもって、1年前はトラックの運ちゃんに怒鳴られながら倉庫作業をするフリーターだった。なのに、今は名門大学の新入生としてスタート地点に立っている。これはどういうことなんだろう?」

実に不思議でした。

もう「人生終わった」ぐらいに思っていたのに、そのあと、また新たなスタートを切ることができたのですから。正直、この違和感は3年生4年生になっても残っていたくらいです。

落ちこぼれから逆転できた2つの理由

高校を卒業した時点では完全な劣等生だった自分が、なぜ関西私立でナンバー1の同志社大学に入れるまでになれたのか? たしかに京大には落ちましたが、スタート時点での学力と10ヶ月という学習期間を考えれば、あれは望みうる最大限の成果だったでしょう。

要因としては次の2つが挙げられます。

  • 中学卒業までの基礎があったから
  • ともに学べる仲間がいたから

この2つが大きい。

私は高校の範囲は壊滅的でしたが、しかし、中学卒業までの勉強はハイレベルで習得できていました。ブランクがあったとはいえ、15歳までしっかりやっていたのは大きい。

もし私が分数や小数の計算ができないとか、中1レベルの英単語も知らないという状態だったら、とうてい同志社や立命館に受かるまでにはならなかったはずです。

それから、予備校の寮で仲間ができたのもよかった。というか、彼らがいなければどんなにいい授業を受けたとしても続かなかった。要は、同じ目標を共有するコミュニティに所属できたことが決定的によかったのです。

基礎学力は人生の基盤になる

繰り返しになりますが、中学レベルまでの基礎学力は本当に大事です。高校の内容はあとからでも取り返せるし、大学での学びはやりたいときにやればいい。

だけど、小中学校の基礎学力がないと、挽回も難しくなる

当ブログではよく、「不登校でも構わない」「学校など行かなくていい」と書いていますが、すかさず強調したいのは、基礎学力だけはちゃんと身につけた方がいいということ。とりわけ、「読解力」と「論理的思考力」を鍛えてくれる英数国の主要3教科はやっておいた方がいい

もし、不登校だという中高生が、あるいは不登校の子の親御さんがこの記事を読んでくれたのであれば、基礎学力の養成だけはしっかりやっておくべし。と、僭越ながらそれだけはお伝えしたいと思います。