あれから16年経った今でも後悔しています。「高校なんか卒業しなければよかった」と、「高校に通う意味なんかなかった」と。

高校時代に不登校となり、悩み苦しみ、それでも卒業してしまった私から、いま灰色の高校生活を送っているあなたへ渾身のメッセージを送りたい。

高校なんて、行く意味ないよ、と。

入学してすぐ熊谷西高校に失望

埼玉県立熊谷西高校正門
埼玉県立熊谷西高校

私が入学したのは埼玉県北部の熊谷西高校、通称・熊西(くまにし)。熊谷高校と熊谷女子高校には劣りますが、県北ではそれなりに知られた進学校です。偏差値は62くらい。JR高崎線籠原駅から徒歩20分ほど、広い田んぼの真ん中にあります。

第一志望でしたので、合格したときは嬉しかったものです。15歳の春、誇らしい気持ちで紺色のブレザーに袖を通し、慣れないネクタイを結び、いったいどんな高校生活が待っているのかと期待に胸を膨らませていました。

しかし、その期待はすぐ裏切られました。

まず失望させられたのは、早々にいじめが起こったこと。とある生徒がクラスの大半の生徒から陰口を叩かれたり無視されたりするようになりました。特に理由もなかったと思います。暴力や暴言はなかったのですが、明らかにあれはいじめ。クラスメイトたちへの不信が募るようになりました。

また、学習内容も期待はずれ。どの教科も中学の延長にしか思えず、学業へのモチベーションはだだ下がり。「苦労して入ったのに、高校ってこんなもの?」と、ひどくがっかりしました。

それから、友人を作ることにも失敗。というより、集団でいじめに加担する彼らと親しくする気になれず、勝手に孤立していたのですが、その孤立も日を追うごとに深くなっていきました。

そんなこんなで、1年生の夏休みに入る頃には学校が完全にイヤになっていました。

「中退したい」と切り出すも認められず

畑の方角から見た熊谷西高校
畑の方から見た熊西

その後、しばらくは普通に通学していましたが、いよいよ2年生も半ばとなるとその状況に耐え難くなり、担任に「退学したい」と切り出しました。

「なんで辞めたいんだ?」と訊くので、

  • やりたい勉強ができない
  • クラスになじめない

この2点を伝えましたが、結局この話はうやむやにされてしまいました。考え抜いた末の決断は、虚しくかき消されてしまったのです。あの教師からすれば「クラスの輪に入れない生徒が甘えたことを言い出した」くらいの認識だったのでしょう。

また、親にも同じく高校を中退したいと伝えたのですが認められず、むしろ、涙ながらに「高校だけは卒業してくれ」と懇願される始末。「高校を中退したら、そこらでブラブラしてる不良の子と一緒になっちゃうよ」とまで言われました。見くびられたものです。

私としては合理的に考えてさっさと熊谷西高を去りたかったのですが、高校を中退するというハードルは思いのほか高かったのです。


余談ですが、当時好きだった、そして今でも尊敬しているゲームクリエイターの飯野賢治の自伝の中に、高校を中退したときのエピソードがあり、私はその去り方に憧れていました。

部屋を出た。

その瞬間に、辞めたことになっているから。

「うん、これで学校のなかでウォークマンが聴けるんだ」なんて思ってね、ちょうど行きがけに聴いてきたウォークマンをまたつけて、学校のなかでウォークマンのスイッチを堂々と入れた。

ちょうどベルトルッチの『ラストエンペラー』が流行っていた。

僕はその映画のサウンド・トラック、坂本龍一の『ラストエンペラー』のCDを聴きながら学校から去っていったんだ。

飯野賢治『ゲーム Super 27 years life』講談社,p.111

私も退学届を書いて、颯爽と校舎を去りたかった。

しかし現実は、遅刻したり欠席したりを繰り返しつつ、中途半端な不登校状態でその後の高校生活を過ごすことになりました。

不登校のまま進級し卒業へ

熊谷西高校からJR籠原駅への通学路
熊西から籠原駅への道

少し前後しますが、中退したいと切り出す前、2年生の梅雨あたりから学校は休みがちになっていました。遅刻も日常茶飯事。いわば、フレックスタイム制みたいな通学の仕方です。

「中退したい」と申し出たのに認められなかった。そこを境に不登校傾向は強まり、3連休があれば勝手に前後を休んで5連休にしたり、登校するにしても2限目か3限目からというのが基本スタイルとなりました。3年生では朝のホームルームに出た記憶がありません。

たったひとり籠原駅のホームに降りると生徒手帳をめくって時間割を確認し、コンビニで時間を潰してから休み時間を見計らって校舎へ入る。これが普通。たまにミスって授業中に静かな廊下を歩く羽目になり、他の教室からの視線が突き刺さる。これが日常。クラスメイトからすれば、私は居たり居なかったり、突然現れたり、謎の存在だったでしょう。

当然、勉強にはついていけるはずもなく、定期テストでは得意だったはずの数学で3点——100点満点中の3点です——を取ったり、順位も40人中の38位とか39位。もっと下がいるのにびっくりでしたが、とにかく、学業はズタボロの状態となりました。

本来、高校は勉強する場所。

だったら、もうこの時点で在学している意味はないのですが、担任と親からの引き留め、さらに自分の中にもあった義務感みたいなもののために、ずるずると卒業まで進んでしまうことになりました。

なぜ卒業できたのか?

ちなみに、当時は「単位」とか「卒業要件」というものは知りませんでしたが、留年にならなかったのは不思議です。あれだけ休んで卒業要件を満たせたとは考えにくく、欠席なのに勝手に出席扱いにされていたのではないか、という疑惑が拭い去れません。

10代の貴重な3年間が無駄に…

私は最終的に高校を卒業”してしまった”のですが、今なら断言できます。高校に行く意味はなかった、と。当時はまだ「学校に行く意味ってなんなんだ?」と考えたり、「中退するとそのあと何か不利になるかも?」という不安もあって、一度拒絶されただけで退学を諦めてしまいました。

しかし、あれから16年が経った今、中退しておくべきだったと確信しています。

1年生の半ばから学習意欲は完全に失せ、卒業まで持ち直すことはなかった。つまり、10代の大切な時期のうち2年半も勉学に真剣に取り組めなかったことになります。もともとの学習意欲自体は高かったのに、です。これは、完全に教育の失敗でしょう。私にとって、膨大な機会損失でした。

そうなるくらいなら、高校は早く中退しておくべきでした。何としても。

当時はまだ若かったので、周りが普通に学校に通っているなかで中退するほどの勇気がなかった。一度拒絶されたくらいで諦めてしまった。けれど、今にして思えば、死に物狂いで別の道を模索すべきでした。そこまでできなかったのは私の弱さです。

「高校に行く意味ってなんだろう?」

私はこんなことを悩み、考えていましたが、このスタンス自体が甘すぎたのです。あなたもそう考えてる? だったら、考えを改めましょう。疑問形ではなく、断定形で考えるのです。

「高校に行く意味はない」と。

そうして、すぐにでも次の行動へ移るべきです。

熊谷西高校を中退すべきだった3つの理由

踏切の警報機
JR籠原駅の踏切

ここからは客観的かつ具体的に、当時の私が熊谷西高校を中退すべきだった理由について考えてみます。一般的に「進学校」とされる高校(偏差値58〜67くらいの微妙な公立校)に通っている方に当てはまる部分も多いでしょう。

理由1:勉強の効率がわるいから

第一はこれ、学習効率の悪さです。熊西は一応は進学校ですから、その学校生活のメインの目標は大学進学。しかし、その授業内容もカリキュラムも効率のいいものとは言えませんでした。

いっそのこと、大学進学のための予備校と割り切った教育をしていればまだよかったのかもしれません。が、授業はお役所的に進んでいるようにしか思えませんでした。知的欲求に応えてもくれず、入試対策に振り切った予備校的な合理性もないわけなので、そこに3年間も通う意味が見出せません。

生きるために必要な学力の養成、または、社会性の涵養。これだけなら中学校までで充分です。なのに、10代後半にもなって集団で教室に押し込められる。教職員はとりたてて改革もせず、高校というお役所業務を続けるだけ。これではいじめが起こったり閉塞感が漂ったりするのも無理はありません。

私がいた2000年あたりの時点で、すでに熊西は——というより、公立の高等学校全般が時代遅れとなっており、過去の遺物に若者が無理に押し込められているという状態だったと思います。


ちなみに公平を期すために言うと、個人的に情熱を持って指導にあたる先生も一部いらっしゃいました。質問対応にEメールを導入した先生もおられました。しかし、それは個人的な動きであって、学校組織自体の保守的な空気は変わりませんでした。一部の教員が動いたところで、公立高校の仕組みや体質をガラリと変えることはもはや不可能でしょう。

理由2:進学実績がわるいから

地元ではそれなりに評価が高い、「進学校」の熊谷西高。では、その大学進学実績が優れているかというと、まったくそんなことはないのです。当時も今も。

どんな状態かというと、東大・京大はもちろん皆無。難関国立大学に合格できるのは一学年で3人か4人。早稲田・慶応もせいぜい3、4人。国立なら埼玉大か群馬大、私立だといわゆるMARCHレベルに行ければ優秀な方です。もっとも多いのは日大・東洋大・大東文化大という日東駒専レベルの大学で、ここがボリュームゾーンになっています。

つまり、熊西の大学進学実績はかなり微妙なのです。

突出してできる生徒もいなければ、全体のレベルも低調。

3年間まじめに通っても、普通の生徒が偏差値50そこそこの大学にしか進学できていないという現実。なぜこれでいまだに「進学校」と目されているのか不思議でなりません。

理由3:中退しても他の選択肢があるから

これは熊西に限らず一般論となりますが、高校を中退しても他の選択肢がいくらでもあります。

高校中退となると「学歴がないと困る」とか「就職で不利かも」とか「レールから外れる」といった不安に駆られますが、実際には代替手段がいくらでもあるのです。

たとえば、代表的なところで言えば通信制高校への編入。全日制の高校を中退したとしても、通信制高校に入り直してサポート校などに通えば高校卒業資格を取ることができます。定時制だってあります。また、高校卒業程度認定試験、いわゆる「高認」を取れば大学・専門学校を受験して進学することもできます。

もちろん、編入も高認の試験も難易度は高くありません。基本的に不登校だった生徒や中卒の人のための救済策となっているわけですから、そんなに難しいはずがないのです。

高校に行く意味がないと思ったらすぐ辞めるべし

少し留保をつけておきますが、私はだれもかれも高校を中退すべきだと思っているわけではありません。たとえば高卒で就職する予定とか、その環境が居心地よく過ごせるとか、部活動に夢中になれているとか、それなら通えばいいと思います。

しかし、もし高校に行く意味がわからなかったり、義務感だけで通っているならば、周囲に反対されても辞めるべきです。それも、なるべく早く。

やめようか、どうしようか。そんなことを悩んでいる時間がもったいない。基本、今の高等学校という教育機関は時代に適応しておらず、効率が悪いのです。無駄なことばかりしているのです。3年かけて通うほどの価値も意味も、まるでありません。

さっさと通信制や定時制に移って、もっと意義のあること、好きなことに貴重な時間を使った方がいい。惰性だけで続いてるような高校に通うのは時間の浪費でしかない。

「迷ってる暇はない。今すぐ何としてでも退学して、定時制か通信制の高校に移れ!」

あの頃の自分に会えるなら、ぶん殴る勢いでそうアドバイスします。もし同じような状況にあるなら、あなたにも。